岸田政権下で政調会長を任されていた高市早苗さん。
これまでどのような環境で育ってきたのでしょうか。
この記事では、「高市早苗の生い立ちと経歴|両親から厳しく育てられた!」と題して、
- 高市早苗さんの生い立ちや経歴、学歴
- 高市早苗さんの両親の教え
まとめてご紹介します。
高市早苗の生い立ちと経歴
高市早苗さんの生い立ちや学歴、経歴をご紹介します。
幼少期~高校時代:奈良県で生まれ育つ
1961年3月7日、奈良県で生まれた高市早苗さん。
政治家一家に生まれて政治家として活動している人も多い中、高市早苗さんの
父・大休(だいきゅう)さんはサラリーマン、
母・和子(かずこ)さんは奈良県警の職員と、共働き家庭で生まれ育ちました。
橿原市立畝傍中学校卒業後、奈良県でもトップクラスの進学校・奈良県立畝傍(うねび)高校に入学。
畝傍高校の偏差値は69ですので、中学生の頃から熱心に勉強に取り組んでいたことが分かります。
高校時代も勉強し続け、神戸大学経営学部経営学科に一般受験で合格。
神戸大学経営学部の偏差値が62.5ですので、まさにエリートといえるでしょう。
→高市早苗は畝傍高校→神戸大学出身!学歴詐称はデマで偏差値は60以上のエリート!
大学時代:アクティブにヘビメタやバイクを楽しむ
神戸大学経営学部経営学科では、経営数学を専攻していました。
学業のかたわら、軽音楽部に所属。
なんとヘビメタバンドを組んで、ドラマーをしていたというから驚きです。
(出典:高市早苗氏HP)
X JAPANや聖飢魔Ⅱのファンだったようです。
デーモン閣下の大ファンということもあってか、高市早苗さんが総務大臣だった2017年6月に行った「電波利用環境保護周知啓発強化期間」では、イメージキャラクターにデーモン閣下を抜擢。
(出典:ナタリー)
公私混同とも言われかねないですが、リスペクトしているデーモン閣下に会えて、なんだか高市早苗さん嬉しそう。
ヘビメタバンドの他にも、スキューバダイビングやバイクを楽しみ、ホステスでバイトをするなど、アクティブな大学時代を過ごしていました。
大学4年生までピンク色の髪だったという情報もありますので、今の姿からは想像できません。
→高市早苗はかつら!ウィッグを1年前からつけている理由!【画像比較】
20代:ターニングポイントとなる松下政経塾に入塾
政治とはかけ離れたような学生時代を送っていましたが、松下幸之助さんと出会ったことで、国政を志すように。
大学4年生の夏に初めてお会いした松下塾主(当時は塾長)の眼光の鋭さに圧倒されたこと、国政を志すきっかけとなった松下塾主の言葉、様々な思い出がよみがえります。
(引用:高市早苗氏コラム)
アクティブな高市早苗さんですので、松下幸之助さんとの出会いはとても刺激的だったのでしょう。
1984年(23歳の頃)、大学卒業後に松下政経塾に入塾。
1989年3月に卒塾するまでの約5年間、松下幸之助さんのもとで学んでいます。
26歳~アメリカでフェローとして働く
(出典:高市早苗氏HP)
1987年、26歳の時にはアメリカに渡り、アメリカ民主党下院議員のパトリシア・シュローダー氏の個人事務所で2年間働いた経験もあります。
コングレッショナル・フェローとして議員立法のための調査や分析を行っていましたが、後にジャーナリストの鳥越俊太郎さんに「経歴詐称」と問題視されたことも。
鳥越俊太郎さんは、見習い待遇のため無給でコピーやお茶くみ程度の仕事しかしていないとの主張でした。
ですが、高市早苗さんは事実誤認と主張し、経歴を証明する書類や送金記録と一緒に発言に対する抗議文を送付。
鳥越俊太郎さんの弁護士は発言の撤回を認めています。
もちろん事実誤認のことを主張されるのは納得できませんが、しっかりと抜かりなく対処するところに高市早苗さんの気の強さを感じます。
帰国後、キャスターやパーソナリティとしても活動
1989年にアメリカから帰国し、松下政経塾を卒業すると、日本経済短期大学(現・亜細亜大学短期大学部)の助手に就任。
また、フジテレビ系列の「朝だ!どうなる?」のメインキャスターを務めたり、ラジオのパーソナリティとしても活動していました。
この後、政界に進出することになりますので、知名度を上げるための足がかりとしてキャスターやパーソナリティをしていたのかもしれませんね。
→高市早苗の目や顔が変わったのは整形?眉毛の書き方も気になる!
30代:政界へ進出
そして、1993年、32歳のときに第40回衆議院議員総選挙に奈良県全県区から無所属で出馬。
このとき、定員5名に対して7人が名乗り上げており、内5人は現職議員。
無所属の高市早苗さんが当選することは難しいと言われ、後援者からも、あと1期待つように言われていました。
ですが、帰宅したときに机に置かれていたお父さんからの手紙、
俺の退職金は、選挙費用の足しに全部使ってよい。イライラせずにやれ。自信を持って! 握手、お辞儀を忘れるな。気楽にやれ
(引用:高市早苗氏コラム)
を見て、出馬を決意!
見事に下馬評を覆して、トップ当選を果たします。
高市早苗さんは自身のことを、直進型と表現しています。
そんな高市早苗さんですら、出馬を悩んでいたそうですのでお父さんからの手紙に強く背中を押されたことは間違いないでしょう。
器の大きいお父さんですね!
政界進出後
政界進出後の1994年、新進党に合流。
1996年、2000年の衆議院議員総選挙でも再選し、2002年(41歳)には第1次小泉改造内閣で経済産業副大臣に就任しました。
順調にも思えるキャリアですが、2003年の衆議院議員総選挙では落選も経験しています。
国政を離れている間、プライベートでは2004年には山本拓さんと結婚もされました。
(2017年に離婚)
→高市早苗は元旦那と交際0日で結婚!離婚理由が政治家ならでは!
そして、2005年の衆議院議員総選挙に当選し、国政に復活。
安倍政権下では大臣をつとめてきました。
- 第1次安倍政権(2006年9月~2007年8月):内閣府特命担当大臣
- 第2,3次安倍政権(2014年9月~2017年8月):総務大臣(女性初)
- 第4次安倍政権(2019年9月~2020年9月):総務大臣、内閣府特命担当大臣
大臣に起用されるということは実力が評価・期待されていることを表しているでしょう。
2021年:総裁選に出馬
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そして、2021年9月の総裁選に出馬を表明した高市早苗さん。
高市早苗さんは安倍晋三さんと政治信条が似ていることから後継ともいわれ、2021年の総裁選では安倍晋三さんの支援を得ました。
高市氏は総裁選での支援を改めて要請し、安倍氏は「総裁選を勝ち抜こう」と応じたという。
(引用:産経新聞)
残念ながら第一回投票で3位となり、敗れてしまいましたが、国会議員票は114票と2位でした。
敗れたものの、得票数に勇気が出たとも話しており、岸田内閣のもとでは政調会長に起用されています。
高市早苗は両親から厳しく育てられた
ヘビメタバンドを組んでいたり、バイクを乗り回していたり、一見、自由に育ってきたようにも思える高市早苗さん。
私自身は決して「正しく生きている」と胸を張って言えるような人間ではありませんが、ごく普通の共働きのサラリーマン家庭で育つ中で、両親から人として最低限のモラルだけは教えてもらえたと思っています。
(引用:高市早苗氏コラム)
ご両親からは厳しく育てられ、社会人になって叱られることもあったんだとか。
社会人になっても叱られる
社会人となってからも叱られたことはありました。
20代で大学教員として働き始めた頃、珍しく母から電話があり、厳しい口調で諭されました。
「偶然、貴女が討論番組に出ているのを観たけれど、どんなに考え方が違う方と議論しても、相手を追い詰めないこと。必ず逃げ道を残して、相手の面子を潰さないように女性らしい気遣いをしなさい」(引用:高市早苗氏コラム)
また、初めて選挙に出馬するときも、個人攻撃をしないように釘をさされています。
そのため、選挙戦では対立候補の批判をしなかったことから、後援者からも心配されましたが、トップ当選していることを考えると、ご両親の教えは合っていたのでしょう。
元旦那の山本拓さんは高市早苗さんの第一印象を
「性格がきつそうな女性」
だと感じていたというエピソードがあります。
直進型でアクティブな高市早苗さんは性格がキツくみられがちです。
そのことをご両親は分かって、少しでも敵を作らないように厳しく教えていたのかもしれません。
両親が繰り返し言い聞かせていた言葉
(出典:高市早苗氏HP)
モラルを大事にする高市早苗さんのご両親は、次の言葉を繰り返し言い聞かせていました。
- 他人に迷惑をかけることは絶対にしない。
- 職業に身分の低い・高いはない。真面目に働くことが尊い。
- 陰で人の悪口を言わない。言うなら直接本人に言う。
- ご先祖様に感謝する。
- 食べ物は粗末にしない。
- 学校では先生の教えに従う。
- 家族であれども、家族が不愉快になる振る舞いはしない。
実際、高市早苗さんのご両親が実践していることで、その背中を見て学んでいます。
山本拓さんは高市早苗さんのことを義理堅いと表現しており、離婚しても高市早苗さんが福井の県知事選の応援に行ったり、山本拓さんのご両親のお墓参りをすることもあるそう。
ご両親が繰り返し伝えていた「ご先祖様に感謝する」にも通じるところがありますよね。
尊敬する人物は松下幸之助と両親
高市早苗さんは、尊敬する人物に松下幸之助さんと両親を挙げています。
松下幸之助さんは国政に進むきっかけとなった方ですので、感謝しているのでしょう。
そして、ご両親からは厳しく育てられましたが、そのおかげで「思考や行動の物差し」が刻み込まれています。
ご両親の教えがあったからこそ、今の高市早苗さんがいるともいえるでしょう。
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