新庄剛志の生い立ち|貧乏で破天荒な両親と優秀な姉に影響をうけた子供時代

野球選手としてだけではなく、日本ハムのビッグボス(監督)としても話題を集めている新庄剛志さん。

宇宙人とも呼ばれる新庄剛志さんは、超がつくほどのポジティブ

そのポジティブな人間性は家族によってつくられましたが、どのような両親、そして家族だったのでしょうか。

この記事では、新庄剛志さんの生い立ちをご紹介します。

新庄剛志の生い立ち

1972年1月28日、お母さんの実家・長崎県対馬市(当時、下県郡美津島町)で生まれ、福岡県福岡市で育った新庄剛志さん。

赤ちゃんの平均体重約3kgのところ、新庄剛志さんは3680g平均よりも大柄

生後10ヶ月で歩き始めました。

 

今でこそ野球というイメージですが、小学1,2年生の頃は町内のサッカーチームに所属していました。

小学3年生のときにソフトボールを始めた新庄少年は、小学6年生のときに町内対抗大会でサヨナラ負け

その時、審判に誤審を訴えるという負けず嫌いを発揮したことをきっかけに、当時の監督がその思いを野球で晴らそうと持ちかけ、少年野球チーム「長丘ファイターズ」を結成

当時、野球よりもサッカーが好き&上手な少年で、野球は一番下手だったスポーツ

にもかかわらず、野球にのめり込んでいくことになったのは、苦手なことがあると逆に燃えてしまうタイプだったからでした。

 
 
 
 
 
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甲子園出場は果たせませんでしたが、ドラフトにて阪神タイガースから5位指名を受け、1990年に阪神に入団

プロ1年目こそは二軍で過ごしましたが、2年目に1軍昇格して以降は、

  • ゴールデングラブ賞を受賞
  • メジャー挑戦
  • 新庄劇場と呼ばれるパフォーマンス

など、記録にも記憶にも残る活躍をされ、2022年シーズンより日本ハムのビッグボスこと監督に就任という現在に至っています。

キャラクター「新庄剛志」をつくった両親は貧乏で破天荒!

現役時代から多くの人を魅了してきた新庄剛志さん。

その理由は、なんといっても新庄剛志さんの破天荒な言動ポジティブな姿勢

逆境を楽しんで、明るくポジティブに運を引き寄せる。そんな「新庄剛志」というキャラクターの根っこをつくったのは、間違いなく僕の家族だ。

(引用:新庄剛志「わいたこら。」

新庄剛志さん自身、家族の存在が、今の新庄剛志さんのキャラクターをつくったと発言しており、実家は超貧乏で、少し変わった家だったそう。

貧乏だったとは今の新庄剛志さんから想像がつきませんね。

どのような両親に育てられたのか見てみましょう。

→新庄剛志の年棒推移|12億円をけってメジャー挑戦!監督の年収は推定1億!

新庄剛志の父は破天荒な植木職人

新庄剛志さんのお父さん、新庄英敏さんは植木職人でした。

食道がんを患い、2011年8月5日に70歳で亡くなられています。

お酒大好きで破天荒

お酒が大好きで、仕事終わると居酒屋に行くのが日課だったお父さん。

新庄剛志さんも小学生に上がる頃からよく連れて行ってもらってたそう。

小さい頃から、居酒屋にやってくる大人と話していたことで、人見知りせずに話せるようになりました。

また、お父さんには喧嘩っ早いところがあり、居酒屋のお客さんとよくケンカしたり、暴走族に「うるさいっ!」と一人で乗り込んで、ボコボコにされたことも。

なかなか破天荒なお父さんですね。

仕事に向き合う姿勢を教えてくれたのは父

破天荒なお父さんでしたが、仕事に向き合う姿勢は真っすぐ

暴走族にボコボコにされてあばら骨が折れても、翌日には普通に仕事をしていました。

  • 熱が出たときも仕事は休まない
  • 飲んで遅くに帰ってきても朝6時には仕事に行く
  • 疲れたと絶対に言わない
  • 道具を大切にする

など、そんなお父さんの背中を見て新庄剛志さんは育ちました。

新庄剛志さんは派手な部分がフォーカスされがちですが、実は陰で努力を惜しまない方

その姿勢はお父さんの背中から学んだのでしょう。

 
 
 
 
 
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とても深い言葉ですね・・・

日本ハムの監督になってから、転がってきたボールを足でリフトしてキャッチしていましたが、その後、野球のボールは足で扱う物でないと謝罪していました。

そんなところも、お父さんの仕事に対する姿勢を引き継いでいます。

 
 
 
 
 
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また、新庄剛志さんは高校時代、真冬に革手袋なしで練習していました。

家が貧乏なこともあって物をねだったことがありませんでしたが、手の痛さを我慢しきれずにお父さんに革手袋が欲しいとお願い。

すると、お父さんは仕事で使う軍手を買うお金で、新庄剛志さんの革手袋を買い、お父さん自身は素手で仕事をしていたそう。

お父さんは高校生の新庄剛志さんが練習している様子を毎日、見に来ていたそうですので、それほど応援していたのでしょう。

 

新庄剛志さんはお父さんのために野球をしていると思っていた時期もあります。

今の新庄剛志さんがいるのは、お父さんのおかげといっても過言ではなく、道具を大切にするという教えを守って、プロ野球入り後、初めて貰った給料で買ったグローブを現役引退まで使い続けました。

そして、お父さんが亡くなったときには、道具を大切にするお父さんと一緒に燃えたほうがいいと思い、棺桶にグローブも入れています。

プロ入り前の暴力事件で新庄剛志を救ったのは父

阪神からドラフト5位で入団が決まっていた新庄剛志さんですが、卒業前に暴力事件を起こしてしまいます。

学期末テストでクラスの女子が早くに問題を解き終わり、時間つぶしに答案用紙の裏に絵を描いていたところ、それを見た教師が叱りました。

女子生徒は弁解しますが、教師の怒りが収まらず、それを見ていた新庄剛志さんは

「問題を解き終わって絵を描くのはいいじゃないか。」

と抗議し、教師と言い合いになり、手を出してしまったのです。

その後、新庄剛志さんは7時間正座し、ついにはプロに行かすことはできないという声も。

広島で仕事をしていたお父さんは大急ぎで帰ってきて、平謝り

教頭先生の助言もあって、頭を五厘刈りにすることでプロ入りが許されましたが、このときのお父さんの姿がプロで活躍しようという決意に繋がっています。

新庄剛志の母は気性が激しい

新庄剛志さんのお母さん・新庄文子さんは、気が強く、感情の起伏が激しい方

酔っぱらって帰ってきたお父さんが、寝ているお母さんに対して

「おい、起きろ。」

と足で軽く蹴ったところ、お母さんはガバッと起きて、台所の包丁をもってお父さんに突っ込んだとのこと!

お父さんは合気道経験があったので包丁をかわしたそうですが、そんな光景を目の当たりにすると驚きますよね(苦笑)

子供ながらに、お母さんを怒らすとヤバいと思ったことは間違いないでしょう・・・

 

他にも、

  • お母さんが低血圧のため朝ご飯なし
  • 夜ご飯のおかずはゆで卵1個
  • (運動靴を買ってもらえず)裸足で走って1位になると、ドヤ顔で「裸足が1番早い」と一言
  • お父さんに買ってもらった靴紐を結び直すと「時間がもったいない」と怒る

など、貧乏がゆえのエピソードもありつつ、それ以上にお母さんの言動がすごい!

裸足で1番になったエピソードなんかは、貧乏で靴が買えないというネガティブを、プラスにも捉えているようにも思えます。

決して裕福な家庭ではありませんでしたが、辛い状況でもポジティブに考えているあたりが、新庄剛志さんのポジティブな人間性をつくったのかもしれません。

新庄剛志の負けず嫌いは優秀な姉の影響

新庄剛志さんは2人兄弟で、お姉さんがいます

お姉さんは偏差値76の高校で成績トップになるほど優秀

新庄剛志さんはお姉さんが家で勉強している姿を見たことがないため、なぜ100点取れるのか聞いたところ、

「先生の言っていることを聞いていたら、分かるやろ?」

と、まさしく頭が良い人が言うであろう言葉が返ってきて、理解ができない世界と感じたそう。

そのうえ、運動神経も秀でており、走ったら1番、バスケやソフトボール部のキャプテンを任されるほど。

新庄剛志さんは子供ながらに、両親がお姉さんに期待していることを感じ取り、お姉さんに勝ちたいと心の中で思っていました。

生まれながらの性格もあるでしょうが、負けず嫌いという性格は姉の存在によってより強くなったのでしょう。

新庄剛志さんも自他共に認める運動神経の持ち主ですので、新庄家のDNAがすごすぎます!

姉は難病を患わっている

成績優秀、スポーツ万能なお姉さんでしたが、動くと筋肉が収縮する難病にかかり、現在は病気と闘っています

なんでも、95歳のような体になるとのこと。

お姉さんの年齢は明かされていませんが、新庄剛志さんが52歳であることを考えると、お姉さんは50代なのでしょう。

 

2018年9月に出版した「わいたこら。―人生を超ポジティブに生きる僕の方法」には、

姉ちゃん、元気でやっているんだろうか。

(引用:わいたこら)

と、どこか他人事のように書かれていました。

それから約1年後の2019年11月13日に、48歳で現役復帰を目指すためトレーニングを始め、トライアウトを受験することを発表しています。

現役復帰を目指したのは、頑張っている姿をお姉さんに見せたかったという気持ちもあったそう。

ですので、本出版以降にお姉さんの病状を知ったと思われます。

お姉さんとしても弟に心配をかけたくないという気持ちがあったのかもしれません。

新庄剛志がポジティブなのは強運のおかげでもある

 
 
 
 
 
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新庄剛志さんがポジティブなのは家族のおかげだけではなく、9回の軌跡も関係していそうです。

これまで新庄剛志さんは、指を切断しそうになったり、頭を打つ交通事故を8回も経験しています。

にもかかわらず、今の新庄剛志さんは元気そのもの。

命に関わる事故を何度も繰り返すたびに、どんどん運も強くなってきたような気がする。

(引用:新庄剛志「わいたこら。」

命に係わる事故を何度もすると、自分は不運とも思ってしまいます。

ですが、新庄剛志さんは「運が強くなっている気がする」と、とても前向き

命に係わる事故に直面しても無事だったことも、自分は強運の持ち主とポジティブに考えるきっかけになっていそうです!

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